まさか、翌日から自分に大変なことが起こるなんて思っても見なかったんだけどね

 

本当にごめんなさい。

3ヶ月も原稿すっ飛ばしちゃって。

日本で社会人やってるとね、みなさんご存知のように、忙しいのよ!って言いたいところだけど、ぶっちゃけ遊んでました。しかも旅行なんか行っちゃってました。

 

こんなご時世、旅にでも行かなきゃやってられませんぜ、旦那。

ってワケで、7月から8月にかけて1ヶ月。そのあと、帰国して、こちらは一応お仕事で1週間弱バンコクに行ってったんです。ということは、その前後はもうめいいっぱいです。お仕事やら、雑多な諸々。

原稿が遅れたワケはそういうことなんですが、久々に旅に行って、一つ、大声でここで言いたいこと。

 

やっぱり、旅はいい!

 

まっ、もともとゴクツブシのハードバックパッカーで、旅中毒。だから旅に出ればニッポンのストレスはすっかり流れて、健康になるっていうのは分かってたんだけど、今回はあらためてその効用に驚いたのであります。

出発前はいろんなことに疲れちゃって、体もかなりガタが来てて、ああ、私も年かな?なんて思ったりしてた。ところが、旅に出て3日目くらいには、体の細胞をオーバーホールして入れ替えたみたいにすっきりして、体調はすっかり良くなってしまった。

 誰にでも!っていうんじゃないけど、少なくともこのバックパッカーズリンクを見ているあなたならきっとそんな効用を体験できるでしょ。そして旅に行こうかどうか迷っている若者たちよ、オーバーホールしてみたくない!?

世界は面白いことがいっぱいです。

 

 

indonesia002.jpg

グルジア・メスティアにて。もうすっかり健康な私は、この日めちゃめちゃ飲み過ぎたのでありました〜

 

さてここから約15年前、前回の続きに戻るね。残念ながらカメラが故障して、このあたりの写真が全滅。1枚も残ってないから文章だけ。

 

シンガポールで出会って、ラッフルズホテルのバーで素敵な夜をともに過ごしたT君は、幾分迷ってから、私と緒にマレーシアに行くことになった。

 

まだこの時、若干20歳だった私、今思えば、若気の至りというか、なんか可愛いなって思う。自分が女の子であるということ、そしてそれが時に男の子に何かしらの想いを、良くも悪くも抱かせることについて、ほとんど考えることもなかった。単純に、男の子も女の子も、旅行をしている人であるという共通項でつながっているんだって、純粋に信じていたんだよね。

 

T君がどうのっていうのはないけど、後々この件についてはちょっと考える出来事があったんだけど、それはまたそのときに。

 

実はこのシンガポールからマレーシアの移動には、自分なりの思い入れがあった。シドニーで1年オープンのチケットを買った時、シンガポールからクアラルンプール、そしてバンコクとストップオーバーするのでも値段は同じだった。

 

けれど、それまで陸路で国境を越えたことがなかった私は、ギリシャ人家族から間借りしてボーイフレンドと一緒に暮らす部屋でプランを考えていた。陸続きになっている国に行くということに思いを馳せてみる。やっぱ、ここは陸路で国境越えたいな。

旅行会社でその旨を伝え、シンガポールin、バンコクoutのところはオープンジョーにしてもらった。今思えば、すごく贅沢なチケットだったんだよね。

 

ここからは、国境を越えた日の当時の日記を少し抜粋してみるね。

 

今日はシンガポールからマレーシアへと国境をバスで越えた。今まで飛行機でしか外国から外国への移動をしたことが無かったから、なんだか全く違う感じだった。

Queen St.からNo.170の市バスに乗る。ビルが建ち並ぶ街から遠ざかって行く。

シンガポールは中心地はかなり高いビルがたくさんあって大都会だけど、ほんの少し離れると、まだまだ古びた感じで、今から工事中というところが目立つ。けれどこれから先、もっと大きくなるに違いないな。バスはそのまま他国へ行くという感じもせず、ジョホールバルへと続く橋の前で止まった。ここで出国手続きをするのだが、手続きといっても、ただパスポートを見せてハンコをおしてもらうのみ。

That`s all. 

そしてまた、同じNo.170がくるのを何十分も待って橋を渡る。

途中に黄色いラインがあった。多分あれが国境線だろうか?

橋はとても短くて、あっという間にマレーシアの入国手続き。カードに必要なことを書き込み、パスポートと共に提出。すぐにハンコが押され、荷物のチェックすら無く、無事にマレーシアに入国!といっても、まだいまいち実感が湧かなかった。

 

思い出っていうのは自分の都合のいいように脚色されるもので、日記を読み返すまで、私はあの時、もっと感動してたって思ってたんだ。でもこれを読むとめちゃめちゃ淡々としてるね。

うーん、なるほど。これが私の初の国境越えってワケだ。たいして面白くもなんともなくて、すみません!

 

ジョホールバルに泊まることも考えたけど、バスターミナルから街が遠かったので、そのままマラッカに移動することに。この日も空は煙に包まれて、どこまで行ってもグレー。

マラッカに到着。

その日は宿に泊まっていたデンマーク人とスウェーデン人のお客と夜遅くまで話こんだ。北欧の社会保障や、ヨーロッパの歴史がそれぞれの国の人たちのアイデンティティにどんな風に影響してるかなんて話などをずいぶん聞いたな。

 

私は基本的にノーテンキなおばかで、いろんなチシキってのが非常にかけてるから、その国の人から、その国の話とか、個人の意見や考えを聞けるって言うのが、いつでも新しい話ばかりに聞こえて面白い。これは今でも変わんないんだけどね。

 そうしてマラッカの夜は更けていった。

このときは、まさか、翌日から自分に大変なことが起こるなんて思っても見なかったんだけど、それは次回!

 

※第一回からはコチラで読めます。

http://backpackers-link.com/girls/index_2.html

 

Japan Backpackers Link 2012年9月23日 01:14 AM

「シンガポール、ピンクな夜と鉛色の空」

 

大理石の階段をのぼって私たちはその優雅な席に通された。

シンガポールスリングを二つ頼み、乾杯。

つまみの落花生の殻を床に投げ捨てながら、ピンクのカクテルの味に酔いしれる。

彼と私がそんなステキな夜過ごしたのは、シンガポールの最高級ホテル。
そう、ラッフルズホテル。

ついに私は貧乏くさいバックパッカー生活からおさらばしたのだ。
狭くてむさ苦しい安宿なんて泊まってられないぜ。これからは高級ホテルを泊まりあるいて、セレブな旅を楽しむのよ。
うふふ。


んなワケ、あるかいっ!


その朝、頭痛と共に目を覚ました。

ああ、最悪だ。

蒸し暑く、窮屈で、寝れば寝るほど疲れる。だから他に客がいないんだ。
インドネシアからシンガポールに飛んで、とりあえずチェックインした安宿。


私はすぐに他の宿を探しはじめた。
そこで出会ったのが大学を1年休学して旅をしていたT君。
はじめはお互いシンガポール人だと思い込んで英語で話をしていたんだけど、私が地球の歩き方を読んでいるのをみて、あれ、日本人なんだ!と。
じゃ、晩ご飯でも一緒に食べて、シンガポールスリングを飲みに行こう!ってことになったんだ。


フードコートで3ドル50セントのご飯を食べたあと、いざ、ラッフルズホテルのバーへ。
二人とも短パンによれたTシャツという、どの角度からみてもセレブじゃないし、それどころかどう見ても貧乏くさい。

こんなんで入れてもらえるのか?とドキドキして行ったんだけど、意外にすんなり通してもらえちゃってね。若い男女だったっていうのが、お金がないけどがんばって新婚旅行に来た日本人くらいに見られたのかもしれないな。

写真.JPG

シンガポールスリングですでにほろ酔い 気分はプランテーション・オーナーの貴婦人


シンガポールではいくつかやりたいことがあって、その1つがシンガポールスリングをラッフルズホテルで飲むってこと。ニュージーランドで出会った人たちに、シンガポール行くなら絶対行かなくちゃ!って言われたのがきっかけ。
あとはマーライオンを見るってのもあったんだけど、これは10秒で事足りちゃったな。

若気の至りとか、旅の恥は掻き捨てとか、言ったりするけどさ。あの頃の私はもうそれこそ、ゴクツブシどころかケチくさいバックパッカーに成り果てて、このラッフルズホテルでもその本領をメキメキ発揮。


カクテル1杯を大事にチビチビと飲む時間の途中、すっと背筋を伸ばして優雅な足取りでトイレに向かう。手入れの行き届いたその化粧室の安宿とは違う内装や便器の美しさに魅了されながら、贅沢に備え付けられたトイレットペーパーの質の良さを確認するやいなや、さっと1ロールをバックに忍ばせ、何事も無かったように席に戻る。

東南アジアを旅するバックバックパッカーにとっては、トイレットペーパーは必需品。芯を抜いてぺちゃんこにしてバックの中に常備しておかなくちゃいけない。

そんなもの、スーパーで買えること、高くないことなんて分かってるよ。


でもね、こうして高級トイレットペーパーを拝借して、それを旅人仲間に自慢するっていうアホなことをやっちゃうんだよね。いかに上質なトイレットペーパーをゲットしたか、っていうことをシンガポールスリング飲みながら語り合うワケ。笑


シンガポールの空はずっと鉛色だった。
そしてどんよりと重い空気。


インドネシアのカリマンタンでの森林火災の影響で周辺の空はスモークに包まれ、当時はアジア通貨危機もあって、よくよく考えればあの時代の東南アジアって大変だったんだよね。(前々回の記事で、火山と書いたんだけど、正しくは森林火災です。他の情報と混同してました〜、すみません!)
でもそれってバックパッカーにとっては、物価が安いから旅が長くできることでもあったんだな。

私や他のバックパッカーもその恩恵にずいぶんあずかったなって後になって思う。ついでに言えば、そういう大きな出来事の起こっている最中にまさにその地域にいるっていうことは、時代がダイナミックなカタチをもって時間とともに変化していくことを、身にしみて実感していくことになるってことでもある。

だってあのころ、今の東南アジアの姿をまったく想像しなかったものね。

とはいえ私個人的には、ただよう強いエネルギーをビシビシと感じて、通貨危機って言ってもそこで生きているみんなはエネルギッシュだなぁ、って思ってたような気がするな。

さて、この次は国境を越えてジョホールバルからマラッカへ。
マレーシアでは現地の人たちに良くしてもらった思い出がいっぱい。

 

※第一回からは、こちらで読めます。

http://backpackers-link.com/girls/

Japan Backpackers Link 2012年5月28日 11:12 AM

 

「う~ん、インドな気分、前回と話、つながらないけどね、だってさ、インドだよっ!」

 

 3月15日といえば、バックパッカーズリンクの原稿の締め切り!と同時に、確定申告っていうやつの締め切りでもあるんですねぇ。 

 

写真 (4).JPG

         早朝のガンジス川をボートでユラユラ

 

このとっても平和なニッポン国で、ザ・ニッポン人として、水道から出る水をごくごく飲んだり、整備されたアスファルトの道路の上を歩かせてもらっている以上、ちゃんと税金納めなくちゃいけませんよ、はい。

なぁんて私、威張れません。毎年、ぎりぎりで確定申告の書類を提出する私は、去年は震災のゴタゴタですっ飛ばして、放置しておりました。そんなワケで、今年は2年分の書類の作成だぜ!

 

「そんなワケで、向井さん、ごめんなさい〜。締め切り守れません。」

(ふざけんな、こにゃやろー!でも、やっときた原稿が印度だから許す。笑 ^^ 向井談)


しかも、年度末ってやらは、どういうワケか普段よりも忙しくて、そんな時になぜか大工仕事を始めたり、今年の桜は何とも美しくてこれはやはりザ・ニッポン人としては花見をしなくちゃ威厳にかけるし、で、ごめんなさいのメッセージを送ったのでありました。

 

ま、言い訳はいいとして、前回の続き〜! 

あ、シンガポールね、といくところだけど、こんなノーテンキなわたくしとしましても、やはり3月11日の震災というのは、心の深いところのあらゆる感情をずいぶんグルグルとやられた出来事でありまして、3月に入ってからは確定申告とバックパッカーズリンクの締め切りを頭の隅に置きながら、11日のことも深いところでまたグルグルとやっていたんですね。

そういう感情で原稿のことを考えていたら、シンガポールのラッフルズホテルの出来事なんて書くことが、ちょっと微妙だよな、って思えて来ちゃうんだよ。私もそれくらい空気読めるんだな。

だからね、今回だけ、インドにぶっ飛ぶよ〜。

2001年夏、私は3ヶ月くらいかけて、インド、ネパール、バングラデシュを一人旅。いつものように、なーんにもは計画なし。とりあえず、航空券だけ買ってデリーに飛んだ。

もうこの頃には私もかなり旅慣れてたからさ、深夜に夜這いかけてくるインド人を大人な対応で説き伏せたり、スラム街にフラッと入り込んでそこのみんなと仲良くなったり、そんなことが自然に出来るような、なんともゴリッパな旅人に成長しててねぇ。(ま、リッパな旅人っていうのは、愛すべきこの国ニッポンでは立派なドロップアウトってことでもあるんだけどねぇ)

 

写真 (1).JPG

          インドの北、レーの街で出会った家族のみんなと

 

 

その上、インターネットってやつも普及して、Hotmailで友達とか、旅で会った人たちと連絡も取り合って、自分でいうのもナンだけど、結構良い感じの旅をしてたんだ。

その旅の後半、あちこちまわった後、コルカタ(旧カルカッタ)へ。
マザーテレサの家を見に行ったり、とにかく街中を歩き回ってたねぇ。

私はどっちかっていうと、観光名所も興味があれば押さえるけど、根が怠け者だからさ、ただただ街を歩いて人々の営みとか景色とかをボーッと眺める方が好きで、実はこんな旅行記風の記事を書くってのには普通に考えると向いてないんだよね、多分。

ま、それは良いとして、ノープランで行った旅だったけど、一応、コルカタ、バラナシには絶対に行きたいな、って思っててね。その日はコルカタからバラナシに行く夜行列車に乗ったんだ。

 

バラナシに行くっていうのは、当時の私にとってはかなり意味のあることだったんだよね。

最近のバックパッカーは、ウユニ塩湖に行きたい!っていう人が多いけど、あの頃のバックパッカーは、バラナシあるいはガンジス川って絶対行きたい場所のひとつだったんじゃないかな。

今でこそ私も若い頃よりもリアリストなんだけど、20代前半、ご多分にもれず、いわゆる自分探しのような気持ちもあったしね。インドのガンジス川に行けば「何か」がある、みたいなことを思ってたよね。

 

 

写真 (5).JPG          ガンジス川 ほら、何かありそうでしょ!

 

 

いよいよインドの旅のクライマックスだぜ!

興奮して乗り込んだ列車の4人用のコンパートメントには、インド人の既婚の男性と、イスラエル人の兄妹が一緒だった。


たまたま偶然に居合わせた私たちだったけど、お互い年齢も近くて、なんだか気が合って、夜遅くまでコンパートメントの中で話し込んだ。
インドのカースト制度のこと、イスラエル人としてこの時代に生きるっていうこと、なんていうちょっと難しい話から、おいしい食べ物のことや恋バナまで。

 

この連載のはじめに出てくるバックパッカーなのかなんなのか分からずに旅をしはじめたころ、宗教や世界の情勢のことを外国の人と英語で話すのが難しくってね。

ああ、私、ホント英語だめだわ、なんてシリアスに思ったり。でも、それは英語力の問題じゃなくて、結局自分がそのことについて考えたこともなかったんだな、っていうことにぶち当たった。

日本語だって、そんな話できないじゃんって。

 

だから帰国後は、そういうことを勉強しなくちゃっていうんで、本を読んだり人の話を聞いたりして、自分なりにいろいろ考えてみたんだけど、ようやくこのインドの旅の頃になって、なんとか話に参加できるようになったんだな。

旅のいいところは、いかに世間知らずのノーテンキな私でも、そういうことを考えなくちゃいけなくなっちゃうってことかもね。

 

さて、ちょっと脱線したけど、そんなこんなで、日をまたいで、翌日、列車はバラナシに到着。

バラナシだ!

 

私はこの時、自分のこれまでの思いとか、ここに来たぜという感動を、一人でシミジミと味わっていたんだけど、その頃世界は、そんなちっぽけな私の感動なんてなんなのさ、っていう事件が起こっていたんだな、これが。

駅を出てタクシーに乗り込むと、運転手が変なことを言い始める。

 

      「第3次世界大戦が始まったぜ!!!

へぇ。
この人は多分、昨日の夜にでも観た映画のことでも話してるんだろうと思って、失礼ながらも適当あしらっていたんだけど、宿に到着してみても、なんだか人々の様子がおかしい。特に旅人の様子が奇妙だ。

2001年9月11日。アメリカ同時多発テロ事件。

 

私は実はあの日からの数日間、バラナシで、ただただガンジス川を眺めたり、片足を無くした目の綺麗な物売りのおじさんと仲良くなって一緒にジュースを飲んだり、旅人としての静かな時間を過ごしていた。


何にも知らなかったとか、無視してたとかじゃなかったんだよね。
まわりから受け取る情報に漠然とした不安も底知れず感じてて、一体どういうことになっちゃってるのか?と、通信速度が遅くて、メールひとつ書くのがやっとだった宿のパソコンから、友人たちにメールを送ったりしてた。


でも私の怠け根性からか、バラナシの空気がそうだったからか、その間、タブラを習ってみたりして、世界の大騒ぎとは全く正反対の時間を過ごしていたんだな。

 

 

写真 (3).JPG             ありがちでしょ、やっちゃうんだよね、タブラを練習中〜

 


それにしても、人間の頭の中のアレコレの力から起こった社会的な大きな事故を、そんなこととは全く正反対に思えるエネルギーが、人、植物、動物、その土地にあふれている場所で考えるというのは、今思えば不思議な体験だったような気がしてね。

私はそんなにスピリチャルなタイプではないけど、あの時は生々しく人間やら動物やらが生きているっていう空気にすっかり取り憑かれて、どうにもこうにも生きるエネルギーに満ち満ちていたんだよね。

 

写真 (7).JPG

           バラナシの街角でひと休み。のんびりだよね

 


         インドでは、動物も人間も同じように生きてるんだよね。

 

 

写真 (6).JPG

 

飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んでいく映像を見たのは、その後、デリーに戻って友人の会社に行ったとき。これもいろいろ思うことがあったんだけど、ここであんまり書く話じゃないかな。

すごーい、話が飛ぶんだけど、去年の3月11日、私は東京の中野にいて、グワングワン揺れる地震を体験。

あの時、私の周りには、もうすぐ桜が咲き始める春の東京に遊びに来ている外国人の若い子たちが何人かいてね、揺れ始めたときにはみんなびっくりしてた。地震がおさまって、初地震で良い経験だ!なんて笑ってた子たちもいたんだけど、その後、原発の事故の情報でどこもかしこもいっぱいになって、大混乱。

今、思い返しても、あまりにも普段の現実とはかけ離れた体験で、その間の時間は、すっぽりと別物みたいになっちゃてる。

 

あれから1年が過ぎてみて、また自然に思いかえして、あのインドのガンジス川のことを思ったんだよね。

バックパッカーとか旅人って、移動をして、どこか自分の国や故郷じゃないところを点々として、その間に、世界のあちこちではいろんなことが起こってる。

 

東日本大震災の前、ニュージーランドで地震が合ったときには、現地に行ってる知り合いが気がかりだったな。それから、気にかけていたその知り合いは、3月11日のあと気にかけて連絡をくれた。

 

2012年3月11日、私は東京にいたけれど、あるバックパッカーは地球の裏側にいたかもしれない。そんなみんなはどんな気持ちだったんだろう?ってちょっと思ったりしたんだ。


次回は、ちゃんと前回の続き、シンガポールに向かいますよ〜、多分。

 

 第一回分からはコチラで読めます
 
http://backpackers-link.com/girls/

 


Japan Backpackers Link 2012年4月25日 04:46 PM
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