「旅をすればするほど、旅人になっていっちゃうんだっていうことかな」 

 

一人旅って、なんなんだろうね。

 

日本で言うと、ちょっと前までは、田舎の温泉旅館に女一人で泊まったりしたら、自殺するんじゃないかって言われてた時代もあったなんてこと、今、この時代になってみると、ちゃんちゃらおかしいぜ、って感じだものね。

もうかれこれ20年近くになっちゃうけど、高校時代、制服姿でおっさん連中に混ざって定食屋でご飯食べてた時、当時私はかなり浮いてたみたいだけど、今、そんなの当たり前でしょ。おひとりさまで、ご飯なんて。

 

そんなこんなで、なんていうか、ちょっと考えてみたんだ。

 

一人旅にむいている、素質があるとか、っていうのは、性格とかそういうのもあるのかもしれないけど、それだけじゃないよな、じゃあ、一体なんだろうって。

結局は、我ら単なるごくつぶしバックパッカーは、社会から離れて生きてるなんて気取ってるようでいて、実は知らず知らずに時代にどっぷりつかって、ごくつぶしの日々を送ってたんだって。

そんでもってね、今の、この時代の、ニッポン人であるということは、バックパッカーになれる為の土台はすっかり整っているんだよね。ただ、やりたいかどうかってだけのお話で。

でもね、あの頃の私はそんなことはもちろん考えちゃいない。こんな気弱な私だけど、実は一人旅の素質が実は案外あるのではないか、と勘違いをはじめたんだな、これが。

 

そんなふうに思い始めたのが、インドネシアのバリに行ったあたり。

ニュージーランドではずっと現地で出会った日本人と一緒に過ごしてたんだけど、インドネシアではいわゆるバックパッカー的な体験をし始めちゃった。多分あのころの時間が、その後の私の人生の方向を、角度にしたら0.1度くらいはどっちかにそらしたんだって確信してる。

だって、旅の、本当の面白さを身にしみて知っちゃったんだから。

 

ニュージーランドを後にした私は、まず、バリのクタに。クタといえば、世界でも有数の観光地。私も例にもれず、しっかりビーチとか安くておいしいご飯とかを楽しんだりしちゃうわけですね。

 

特に私が行った1997年という年は、タイを中心にしたアジアの通過危機のおかげでインドネシアルピーも非常に安くなってたんだ。ついでに火山も噴火しちゃったりして大変でね。おかげで、なんて言うと不謹慎なんだけどさ、でもバックパッカーにとっては、これは、あと1ヶ月長く旅ができるっていうくらいにメリットがあることだからね。今、ユーロとか、めちゃめちゃ安いから、ヨーロッパ行きたいなぁって思っちゃったりするでしょ、ね。

こんな具合に、のびのびね。↓

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クタでは宿で会った日本人などと一緒に過ごしたりしたんだけど、やはりその辺で出会った地元のお兄ちゃんに、パダンバイっていう港町で宗教的なお祭りがあるって言うのを聞いて、みんなで行ってみることなったんだ。

 

残念ながら、この頃、カメラがいかれてて、写真がほとんど無いんだけど、あの、お祭りは、いろんな意味で今でも思い出すとぐっとくるものがありますよ。

 

地元の人にとっての特別なお祭りで、夜10時くらいに、山を登っていくんだけど、そこに訪れる人たちは熱心がヒンズー教徒で、観光客とおぼしき人間は私たちだけ。山を昇るのに、700段くらいの階段を一歩一歩昇っていく途中に、お参りの人たちがいっぱい両脇に座っていたりして、彼らは、ほぼ例外なく私たちに視線を注ぐ。ときおり、なんでおまえたちがいるんだよ、ってかんじでにらみつけてくる子供もいたりしてね。

山の頂上にはお参りするための場所があったんだけど、さすがにそこには入れず、というか、もう自分たちがそこにいても良いものなのか、っていう雰囲気があたりに満ちていて。その一方で、空は素晴らしい星空で、流れ星が横切っていく。

地元の人たちは、どうもそこで夜を明かすらしいんだけど、もちろん私たちは少しして下山。

日本にも初詣とかってあるけれど、あんな風に、特別な雰囲気を醸し出してはいないんじゃないかな。外国人っていう立場でみると違うのかもしれないけど、それでも、あれだけ生々しく、人間が生きている空気、っていうのは、日本ではなかなかか感じられないんじゃないかな。

 

シドニーでも、様々な人種や違う宗教の人がいて、そういうことについて考えることもあったけど、この時も宗教とか、人が生きるってことについて、なんか圧倒されたような気がしてね。頭では考えられないんだけど、うわって感じだよね。

 

そんな体験をパダンバイでしつつ、今度はそこで出会った別のインドネシア人のお兄ちゃんに、僕と一緒にロンボックに遊びにおいでよ、って誘われて、それじゃ、っていうことで、それまでロンボックなんていう島のことも知らなかったけど、行っちゃうことに。

バリあたりのお兄ちゃんたちは、ところ構わず、優しいことを言って、時に口説いてくるんだけど、1,2日もいるとそういうのにも慣れて来て、そういう話もしながらでも友達になれるっていう感覚がつかめるようになると、なんだか楽しくなるよね。ま、調子に乗ってるって言われれば、そうなんだけど。

ロンボック島では、お兄ちゃんの家族の家にホームステイ。そこのお父さんは3人の奥さんがいて、30人の子供がいるっていう大家族で、滞在中、バイクであちこちにいる家族のところにつれて行ってもらったなぁ。日本人を見たことがないから連れて来い、って言われたりもしてね。

ロンボックではそんな具合に、これと言って特別な観光みたいなのはしてないんだけど、家族に混ざってご飯を食べたり、近所の人や親戚とかと話し込んだり、そんな時間を過ごしてあれがやけに楽しかったな。

 

でも日本人が金持ちであるという認識は、ある部分間違ったイメージとして持っていて、私が日本に帰ればお手伝いが何人も家にいて、という生活をしているに違いないって思っててね。どこに言ってもそういうことを聞かれたな。確かに日本で稼いだお金をそのまま持って行ってあそこで暮らせば、そんな暮らしも出来るんだろうけどさ。

 

日本では私は身分も仕事もたいしたお金もない、ただの貧乏人なんだっていうことを説明するのは、多分、言葉で言えても、本当の意味では伝えられないだろうなって思って、そうでもないんだけどね、って笑ってたな。

 

当時の日記を読み返すと、お金が無いのに、そんなことは気にしない彼らの幸せそうな日常を、いいなぁと思っている自分の気持ちが綴られてるんだけど、あれからもう15年、今頃、みんなどんな生活をしてるんだろう。

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カメラが壊れてて、こんな写真しかないんだけど、家族のみんなと記念写真。

 

結局、ロンボックでは5日間もホームステイさせてもらい、港町のパダンバイに戻った。ロンボックの家族のみんなは、このまま住んじゃえば良いのに、仕事も見つけてあげるよって言ってくれて、そういうのも悪くないな、って考えたりしたけどね。

 

パダンバイに戻ると、宿やレストランのみんなは私のことを覚えてくれていて、そして相変わらず口説いて来て、だからダメだっていってるじゃん、なんていう冗談を言えるのが、なんとも嬉しかったな。

そのようにしてね、旅にドンドンはまり込んでいってるってことに、まだ私はあんまり気がついてなかったけど、インドネシアでは毎日が面白くて新しくて、とにかく楽しんでたな。多分、あんなにモテたっていうのもはじめてだし、誰にでも言うんだって分かってても、悪くないよね。

そのあとは行ってみたかったウブドに行き、バリ島のもってる空気の密度の濃さみたいなのをあらためて感じたり。ちょっと長くなったからウブドのことは書かないけど、写真はなんとかこれが残ってました。

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最後はバリの州都であるデンパサールに。デンパサールでは何人かの日本人に出会って、恋バナをしたりもしたな。そのうちの一人はジョグジャカルタで睡眠薬強盗にあっちゃって、大変な思いをしてて、あ、やっぱ、怖いんだななんて思ったりもして。

インドネシアからの旅立ちは、はじめはクタに戻ってゆっくり空港に行こうかと思ってたんだけど、デンパサールがなんとなく良くって、直接空港まで行くことにしてね。

 でもそれが大変。あの頃の私は、歩ける距離は歩くっていうバカみたいな信念を貫いていて、めちゃめちゃ暑い中、空港行きのバスターミナルまで歩こうとしてね。しかもなんといっても、そんなことする割に方向音痴で、思い切り迷ってさ。

結局、飛行機に遅れたらそれこそバカじゃん、ってことでベモに拾ってもらい、バスに乗り込み、なんとか空港についたのはフライトの出る30分前。あ、ダメかも、と思ったら、火山のスモークの影響で出発が遅れてるってことで、全然間に合っちゃってね。

今ならあんなバカなこと絶対しないんだけど、なんだろうねぇ。若かったのかなんなのか。しかもそこで運良くなんとかなっちゃうっていうのが、また勘違いの元で。あれ、私って、旅人に向いてる、なんて思っちゃうわけですよ、これが。

 

はじめにも書いたけど、多分私はこのインドネシアで、人生の方向の角度をほんの少し変えたな、って思ってる。

 

ま、そんなものは、日々の暮らしの中でもユラユラしているんだろうけど、私みたいな脳天気な二十歳そこそこの女子が、ザ・ニッポンの価値観から離れてみるには、このインドネシアの旅のようなこと、あとこれから深みにはまる旅の日々が必要だったんじゃないかって。

だから、わたしって旅に向いてる、うふふ旅人っ!みたいに思っちゃって勘違いしちゃったのも、そんなに悪くないな、ってね。ま、それは帰国後に痛い思いをすることにも繋がっちゃうわけですが。

 

さてこの連載も4回目ですが、ここまで来ると、だいぶ立派なバックパッカーに成長しつつありますねぇ。でも、ノープランでも、きちんと飛行機のスケジュールにあわせてるっていうのが、カワイイところ。

 

次回は物価の高いシンガポールに飛ばなくちゃ行けません。うーん。

 ※最後までお読みいただきありがとうございます。第一回からは、こちらで読めます。

  http://backpackers-link.com/girls/

 

Japan Backpackers Link 2012年3月 6日 01:30 PM

「いよいよ旅に出たは良いけれど、いきなり沈没って、いったいどうなのよ?!」

前回、シドニーでのワーホリ生活から旅に出ることになった私、それは1997年のことで、もうかれこれ15年も前のことじゃありませんか! もしも私がその時子供産んでれば、その子はなんと中学を卒業しちゃうんだよ。あらま。

そんな前のこと、ぼんやりとは覚えてるんだけど、残念ながら本当に断片的。

時々、宿とかカフェとか、行った場所の名前とかをしっかり覚えている人っているけど、ああいうの信じられないよ。すごいなぁ、としか言えない。

でもあの頃の私、偉いねぇ。ちゃんとマメに日記ちゃんを書いてくれてましたよ。

押し入れの奥に押し込まれた衣装ケースに、煩雑に詰め込まれた写真やらなにやらの中から出てきた1冊のノート。これこそ、シドニーを出た日から旅が終わるまで書いてた日記帳。おそるおそる開いてみると、ああ、そうだよなぁ、こんなの恥ずかしくて絶対に人に見せられないよ、っていう感じ。

シドニーでも日記をつけてたんだけど、まだ若かった私は読み返した時、あまりの恥ずかしさに捨てちゃったんだよね。そんなのたいしたことでもないのに、おバカだなぁって今なら思うけど、それもこれも若かった私のやったことだから、ま、仕方ないよね。

あれがあの時の私の精一杯だったんだな。

 

最近はブログとかフェイスブックやらで、旅のことを記すいうのが普通になってるんだろうけど、ブログとかと日記の違いは、もう本当に大きいな、って日記を読み返すとしみじみ感じる。

ブログだと、やっぱり誰かに見せるために書くじゃいない? 

フェイスブックなんか、もう顕著に、「いいね!」 とかコメントをもらうためのネタを探して載せちゃうとかね。そうなるとさ、やっぱ、どこかつまんなくなっちゃうんじゃないかな。だってさ、旅って、パーソナルなものであればあるほど面白いって、思うからね。

もちろん、それでも自分をさらけ出して面白く書ける才能のある人って世の中にはいるんだろうけど、自分の秘め事みたいなことを書く日記は、やっぱり特別だなって思うんだ。

だからこれから旅に出ようっていう若い人には、ブログとかフェイスブックは書かなくても、日記を付けると良いよって。それも手書きが良いんじゃないかな。筆跡で精神状態も思い出したり出来ちゃうからね。

 

ま、時代は、どんどん変わるから、これはひとつのおばさんの戯言だって思って、面白そうと思うならやってみてちょうだいね。だって、私が今の時代のばりばり現役バックパッカーだったら、多分、ブログとかフェイスブックだもんね、やっぱりさ。

 

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日記はこんな具合に付けてたんだけど、すでにかなり恥ずかしいよね。(アハハ)

はじめは気合いを入れて、勉強にもなるし全部英語で書こうってがんばってたんだね、私。途中で挫折して日本語だけになってるんだけど。何しろ、自分の書きたいことをすらすらと書ける英語力なんて無いからさ、ま、賢明な判断だな。 

 

さてシドニーを旅立つ直前には、1年くらい生活をしている中で出会った人たちとのお別れにまわったんだね。最後の月にそうしてたって自分ではあんまり覚えて無いんだけど、写真が出てきて、懐かしくなっちゃった。

 

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シドニーに行って、始めたことの一つはスポーツジム通い。

そのジムにはテコンドーのクラスがあって、途中からそちらが中心になったんだけど、今でも時々自分でトレーニングするときには、この時に教えてもらったメニューが基本になってるんだなって思う。この写真に一緒に写ってるのが、トレーナーのクリス。彼には、マシンでなくて、自分の体重で負荷をかけるトレーニングを中心にする方が、美しい体になるんだよって教えてもらったんだよなぁ。

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1年間お世話になった寿司屋さんのオーナーご夫妻と、スタッフの女性。この寿司屋さんとの出会いがなければ、私のワーホリ生活は全く違うものになってたんだよね。本当にラッキーだったな。

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友人たちとのお別れ会。インターネットのない時代、すでにみんなとの連絡は途絶えてしまった。みんな今頃どうしてるかなぁ。(コレ読んだら連絡くださいな)

 

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この3日後に旅立つんだけど、あらま、こりゃ、何にも考えてないねぇ……。

 

そんな風にして、シドニーの日々を終えて空港に向かった私。これからニュージーランドに行くっていうんで、ワクワクしてたか?っていえば、実は不安でいっぱいだったんだな、これが。

相変わらず何にも予定を決めてなかったし、なんともニュージーランドのことをちゃんと調べることをこれっぽっちもしてなかった。行ったら何とかなるさ、って思っていたものの、どうするのさ!って空港に向かいながら、ああ、このままシドニーにいたいよぉって怖じ気づいていたんだよ。

しかし超ラッキーなことに、空港でシドニーで出来た友人とばったり会っちゃったんだな、これが。彼は私と全く同じ日にシドニーにワーホリで来ていて、私と同じくビザのぎりぎりまで滞在して、そして何ということでしょう、今から全く同じ飛行機に乗ってニュージーランドに行くというではありませんか!

そして彼はシドニーで出来た友人を訪ねてハミルトンって街に行くっていうんで、なんとも図々しい私は、一緒に行ってもいい?って。そりゃ、嫌だって言えないよねぇ。ちょっと困ってたんじゃないかなって、今更ながら思うんだけどさ。

だって人の家に泊まりで遊びに行くのに、急に女の子を一緒に連れてくってさ、ちょっとどうかと思うよね。でも全く空気の読めない私は、これで一安心っていう感じで、連れて行ってもらうことにしちゃったんだよね。まったくひどい話だよ。

そんな風にして友人について行っちゃって、ハミルトンに2泊したんだ。そこは大家族のおうちで、私なんかが急にくっついてきても何とも思わず歓迎してくれたんだよね。

そこのおばあちゃんは、私には孫が47人もいるんだよ、って嬉しそうに話してくれて。Waitomo caveを案内してもらったり、夜は夕飯後、ギターを弾いてみんなで歌ったり、本当に暖かいところだったなぁ。

 

でもさすがに、私もこのままいつまでも友人にくっついて行くっていうのは気まずいって思ってね、温泉町という響きに惹かれて、ロトルアにとりあえず行ってみようって決意。

この頃の日記を読むと、恥ずかしいんだけどさ、シドニーに残してきたボーイフレンドのことをずいぶん書いてるよね。彼は今頃何してるのかしら、明日は電話しようかな、とかね。なんともカワイイねぇ。結構寂しくて、不安だったんだな、私、なーんて。

でも困ったことにね、若い女の子にありがちなんだろうって思うけど、日記を読んでると、日に日にそういうのが薄れていくんだ。読めば読むほど、なんだこの女!かなりむかつくよね。本当になんだろうって思うよ。

この頃からだな、自分はもしかしたら惚れっぽいんじゃないかって思うようになったのは。特に旅先ではね。まっ、もとが小心者だから、だからといってその道で極めるなんてことも全然無かったんだけど、それやってたら、また面白かったかもね(笑)

 

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バックパッカーの言葉に「沈没」っていうのがあるのを後で知るんだけど、私のはじめの沈没は、このロトルア。あらま、いきなり沈没かよ。

 

飛行機のチケットは、あらかじめある程度の予定を組んで予約してあって、ニュージーランドは2週間だったんだけど、結局、そのうちのほとんどをロトルアで過ごしちゃった。多分もしこれが旅の後半だったら、だらだらともっとニュージーランドで過ごしてたんじゃないかって思うけど、まだ、この頃は飛行機の予約の予定通りに行こうっていう気だったんだね。

 

ここロトルアでは2回宿を変えてて、出来るだけ安いとこにっていう感じで移動してたんだけど、3つめの宿で日本人のワーホリの人とかバックパッカーに会って、それが沈没の原因のひとつだったんだな。

 

ロトルアの良いところは、安宿にも温泉があって南十字星なんかを見ながら夜な夜な温泉に入れるワケ。シドニーではシャワーだけで、お風呂に入ることなんて無かったから、お風呂に入れるってだけでも幸せなのにさぁ、温泉だよ、温泉。そりゃ、はまるでしょ。

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本当にすごい温泉地で、硫黄の臭いが街中に漂ってたなぁ。

 

ここで出来た友達とあちこち出かけて、ああ、旅ってなんて楽しいんだろう!って。あんなに心細くて不安がっていたのに、どうしちゃったんだろうっていうくらいに。

温泉は基本的には水着着用で男女混浴だったから、みんなでワイワイ語り会いながらお風呂に入ってたね。ああいうのも仲良くなるきっかけになったんだと思う。

 

日記を読むと、“会う人会う人みんながすごい!”って、書いてあるね。“自分の知らないことをみんな知ってて、話を聞くだけでなんて面白いんだろう!”って。“私は知らないことばっかりで、こんな風にして、一生勉強していかなくちゃいけないな”って。

実際には、I shold study so hard forever って、英語で書いてる。

ああ、まだまだ純粋だねぇ、あやういねぇ、若いねぇ、いいねぇ。

 

IMG_2867.JPGニュージーランドには、フィッシュアンドチップスのお店のランキングみたいなのがあって、ここはその年か前年かに、上位になったお店だって。新聞紙に大量のフィッシュアンドチップス。これがめちゃめちゃおいしくてね。

 

実はね、ここはある日本人の男の子と一緒に行ったんだけど、私もボーイフレンドがいるし、彼にもガールフレンドがいるっていうところで、でもちょっとなんだか淡い気持ちを抱えて時間を過ごしてたなぁ。

 もちろん、これっぽっちもなーんにも無かったけれど、旅の間にはそういう、現実的にフィジカルな意味ではなーんにも無いけれど、ちょっぴり恋心みたいなものを抱えて時間を共有するっていう、特にほとんどしがらみのない時代、若い頃のそういうのって、本当にいいよねぇ。

何とも、日記によりますると、ロトルアを出てオークランドについた私は、そのロトルアで出会った彼に電話をかけているんですな。そして、その彼も翌日私に電話をかけてくれているんですなぁ。宿に電話をかけて呼び出すってやつですよ。フムフム。インターネットのない時代だから、そういう電話っていうのがちょっと懐かしい感じだけど。笑)

 

恋人がいてひどい!って、いわれるかもしれないけど、だから、なーんにも無いんだよね。自由な旅の空の下で、ほんわかあらわれて消えていく恋心。

これが旅のスパイスになる、、、。 あ、でも、今のこんな時代、そういうのがちょっと厳しくなっちゃってるのかなぁ、もしかして。タバコも酒も飲まず、清く美しいことがタイセツであるっていう雰囲気があったりしちゃうものね。どうなのかしら。

 

とまあ、今だからこんなことも人ごとみたいに書いてるワケだけど、その頃の私はあんまりちゃんとした自覚なくってさ。若い女の子が旅をするときには、きちんと「私は若い女の子です」っていう自覚を持たなくちゃいけないんだっていうのは、後々いろんな意味で学ぶことになっちゃうんだけどね。ま、その話は追々出てくると思うよ。

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本当にどうしようもなくあぶなげにスタートした旅だったんだけど、とにも、かくにも、いつもの行き当たりばったりで楽しんでしまったニュージーランド。

 

ロトルアからオークランドに戻った時には、すでにロトルアが懐かしくってね。

シドニーで空港に向かう時に、ああ、このままここにいたいって思っていた自分は、ドンドン遠くなっていく感じがしてたな。

毎日、毎日、自分の中の細胞のひとつかふたつくらいが、すっかり入れ替わっていくような、そんな感じで、多分このままでいくと、自分はすっかり違う人間になってしまうかもしれない、とも感じたりして。

 

実際には、自分がすっかり違う人間になってしまうなんていうことは、残念ながらというか、全くなかったんだけど、価値観が変わっていくみたいなものとか、アイデンティティを感じるということでは、きっと、シドニー生活の時からこの旅を通じて、少しずつ、目に見えないところで起こっていたんだと思う。

 

これは別に日本にいたって、環境の変化などで起こるんだとは思うけど、あの頃の私が旅を通じて得た価値観っていうのは、今の自分にはかけがえのないものになっているな、っていうのは、良くも悪くもあるな。

 

それにしても、あの頃の自分を思い出して文章を書くっていうのは、何とも胸の奥がむずがゆいもので、あの時の不安とか、嬉しさとかも、体いっぱいにあふれそうになるんだねぇ。

 

そんなわけでして、ニュージーランドからスタートした旅はこんな具合。

これじゃあ、まだまだバックパッカーとはちょっと言いづらいんじゃないかな。この後、バリに行くわけだけど、私がバックパッカーらしくなっていくのは、多分、このバリくらいからではないか、って思うな。 < 続く >

 

 

※ライターはイカシタ旅人が集まる、東京中野の「やどやゲストハウス」の女将です

http://www.cheap-hostel-tokyo.com/japan.php

Japan Backpackers Link 2012年1月18日 01:10 PM

連載第2回

「ゆるーいワーホリ生活が終わり、なんとなくバックパッカーになっちゃう?!かも・・・」

はてさて、なんともこの企画、ぼちぼち1年間連載するってお気楽に書き始めたんだけど、2回目の締め切りが迫ってきてだんだんと心拍数が上がってきちゃいました。

まったくもって生まれつきの小心者の私は、前回の記事がなにやらたくさんの人に読まれて、面白かったよ、なんて言われちゃったものだから、これはもう大慌て。

だいたいにおいてね、期待なんてものをされるとすっかり自分がどこかに行っちゃって、あら、わたくし期待に応えなくちゃ、うふんっ!なーんて下心が働いちゃって何もかもがだめにしちゃうっていうのは、これだけ自分と長く付き合ってると分かってるんだ。

中学生時代、写生大会でなんちゃってって具合に賞をもらっちゃったもんだから、じゃあ、市に提出するためにこんなテーマで絵を描いてくれ給え山本君、なんて先生に言われて書いた絵がね、もうあまりにひどくてさぁ。先生もあんたいったいどうしちゃったのさ、って具合に絵を見て固まってるんだけど、さすがに私に正直に言えないっていうのがヒシヒシと伝わってきたねぇ。

あれは今でも切ない思い出のひとつだね。

 

あ、また前置きと言い訳が長くなったけど、前回読んでくれた人が、旅に出る前の20歳前後だけじゃなくって、予想外に同年代か90年代バックパッカーが多いみたいでね。

なので、もうひとつ言い訳してみると、私の体験してきたことっていうのはね、海外に出た人たちにしてみたら、もうごくごく当たり前の日常っていうことなんだ。しかもね、ロクデナシの方の日常ね。

前回の記事を読んで、若い人たちには、すごいっすね!憧れますぅ〜!なんて言ってもらえたんだけどさ、あなたも行ってみれば分かるよ、なにもかもが当たり前のことなんだよってね。すごいことなんて、これっぽっちもないんだよ。逆に言えば、全部がすごい!とも言えるんだけどね。

だって私みたいなバックパッカーで行くような普通の場所ではね、世界のどこにいっても、状況の違いはあるにせよ、人はご飯食べて、トイレ行って、子供作って、なんて具合に暮らしてるんだから。そんでもって私も、どこにいっても、同じようなことしてたんだもの。

でも、食べるものが違う、着る物が違う、言葉が違う、家が違う、そういうことひとつひとつを、見て感じられるっていうこと、それはすごいって言っても良いんじゃないかって思う。ググっても、知識は得られるけど、うわーって感じたりはしないものね。

 

そんなわけで、前回の続き〜。

さてワーホリでシドニーに行って、何してたかって言うとね、生活ですよ、セイカツ。

今思えばね、バックパッカーになる前に、海外で生活したっていうのは良かったな、って思ったりしてる。

ただただガイコクに行きたくて、なんとなくシドニーに行くことにして、そこで何するって目的もなくって。もう目も当てられない無計画ぶりで、将来のことなんて考えてみせてるようで、どうにもめちゃくちゃで繋がってなくて。でもね、それって、なかなか悪くないんじゃない?って私は思うんだ。

最近の若い子の話を聞くと、海外に行くにしても、旅に出るとしても、そこから得られるもは何があるの?とか、就活に不利になるから留学はやめる、なんて頭であれこれ考えちゃってさ、行きたいって思ってる気持ちを無理矢理押し込めてるって気がして、なんだか気の毒だなぁって。

別に興味のないのに無理に行きなよ、なんて言わないけどさ、行きたいのに行かないってのは、若者としてどうかなって思っちゃうね。今なんか円高で、旅をするには絶好のチャンスじゃん!ってね。

まあ、こんなこと言っておいて、就活の責任なんて全然取れない私が言うんだから、ちょっと申し訳ないんだけど。

 

でもね、行ってみて良かったなって思うことのひとつにね、どこに行っても自分は自分って分かるって言うか、ね。あとはね、日本で暮らすってことが、いかに狭い価値観の中で生きてるかっていうことをヒシヒシと感じるってことかな。

別にそれが悪いって言ってるんじゃないよ。でも、私みたいなロクデナシには、それが救いのひとつだったんだ。だって、ま、こんなんでも生きていられればいいじゃん、って思えたんだからさ。

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生活ってね、こんな具合に、楽しい日々を過ごしてたワケ。↑

 

お仕事は日本人が経営する寿司屋の売り子を帰国直前までずっとやってたなぁ。

当時はインターネットって無かったから、シドニーにあるワーホリ事務所へ行って、仕事募集の貼り紙を見て応募したんだよね。

あの時、ヨットで世界をまわった夫婦がシドニーでスタートして軌道に乗っていた寿司屋を、とある日本の企業が目を付けてブランドを借りてシドニータワーの中にお店をオープンするっていうタイミングでね。面接は確か23日かけてやってた記憶があるけど、もうそれこそたくさんのワーホリの人が来てたね。

 

でもでもそんなんで、どうして私が採用されたかっていうのが疑問なんだよ。だって、おかしいでしょ。すごーくたくさんの人が面接に来てたのに、そこからは正式に2人しか売り子として採用されなかったんだよ。

ひとつ思い当たるのは、面接中に携帯電話が鳴ったこと。

日本でもようやく携帯が少しずつ普及してたころだったんだけど、この時私は一丁前にノキアのトランシーバーみたいなでかいヤツをレンタルして持ってたんだ。それが面接中に鳴っちゃってね。そうそう、あの、ノキアの着メロだよ。ピロリーロ・ピロリーロ・ピロリーロ−ロー♪

もちろん携帯のマナーとか、面接のマナーとか、そんな気の利いた知識なんて私はなんにももって無いから、すみませんって電話に出てね。それが、少し前に面接に行っていたお土産屋からの断りの電話だったんだけど、実は何を言っているのかあんまりわからなくて。でもなんとなく、ああ、ダメなんだってことは分かったから、適当に、英語で、オーケー、ノープロブレムってとりあえず答えて。

そうしたら、それをみていた面接の担当者が、どうやら私は英語がペラペラであるって思ったようで、フムフムっていう顔をしてるじゃないですか。そのあと質問で、いらっしゃいませってなんていうの?って聞かれて、May I help you? って答えたら、またフムフムっていう顔をしてね。もしや、これって好感触〜!とにかく、勘違いしてるんなら、ま、いいじゃない、って感じで、ぜひよろしくお願いします!って会場をあとにしたのでありました。

面接は後日も続く予定だったんだけど、その日の夕方に電話がかかってきて、ぜひ働いてくださいって。あ、はい、って言うんで、私のワーホリ生活の基盤はここでできたんだ。本当に人生ってそんなもんだよね。仕事の断りの電話に出たらひろわれちゃったんだもの。

 

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そんな具合に寿司屋で働くことになったんだよね。なんか楽しかったなぁ。

当時、ワーホリのビザでは3ヶ月以上同一雇用主の元で働けないって規則があって、結局、シドニータワーは3ヶ月で卒業。でも、もともとの寿司屋のご夫婦に気に入ってもらえたみたいで、そちらの支店で働かせてもらえることになったんだよね。

 

そんな具合に、だいたいにおいて、いつもそうしてなんとなーく、巡ってくる運をつかんで生活をしていたワケですね

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これはキングスクロスにあった寿司屋の店から撮った写真↑

前回の記事にも書いたけど、キングスクロスは南半球最大の繁華街って言われてて、そんな街だからいろんなお客が来たよね。別に怖いことがあるわけじゃなくて、いろーんな人が世の中にいるんだってことを、ここにいる間に学んだなぁ。

 

ここではひとりでお店を任せてもらったりしてね。

朝、シャッターをガラガラ開けて、工場から運ばれてくる寿司を並べて売るっていう単純なことなんだけど、今思えばおもしろかったな。ラジオを聞きながら寿司を並べて、昼の忙しい時間になるまで一人で店番するんだよ。よく考えれば10代の時にガイコクでそんなことができたって、今思えばラッキーだよね。

 

あっちの人って、お店の人と一言二言話すんだよね。おはよう、元気?とか。

ああいうのが大好きだったな。

だからそのしばらく後になるんだけど、日本に帰ってきて、学生時代からバイトしてたコンビニでまたバイトさせてもらったとき、ぼーっとレジに立ってるところにお客さんがきて、Hi, how are you? なんて間違えて言っちゃったりして。

若くて小っ恥ずかしい私は、私ガイコクがしみこんでるって、バカだなぁと思いながらも、ちょっと嬉しかったりもしたな。あ、でもこの頃、そういうのが鼻につくっていって、友達から敬遠もされたよね。ま、確かに嫌なヤツだ。中途半端にガイコクかぶれになってさ。

 

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ちなみにこれが、私が暮らしてた街の近くの駅↑

静かな街だったな。スーパーで買い物をするときに、カートにあれこれ乗せて買うじゃない?ここでは、カートごと家に持ってかえって良かったんだよね。カートは家の前の道に放っておけば、店が回収するんだけど、すごいよねぇ。今でもそうなのかなぁ。

 

近所には小さい八百屋や肉屋とかもあってね。肉屋では、はじめハムが買えなくて苦労したんだよね。ハムって日本語の通り発音しても全然通じなくて。ヘアムみたいに言わなくちゃいけない。指をさせば買えるんだけど、悔しくって、家に帰って、ヘアム、ヘアム、って必死に練習したなぁ。

ま、そんな風にして、シドニーでゆるーい生活をしていたんだけど、ワーホリっていうのは1年でビザが切れるんですよね。手続きを取れば延長とかも可能なんだけど、その時はこのままの生活を続けていくんではダメなんじゃないか、と思ったりして。

現地で手に入る情報では、どうやったらシドニーに住み続けられるかとかそういうのも結構あっていろいろと調べたりもしたけど、結局どれもしっくり来なくて。アロマセラピーを学んで残るとか、そういうのね。

 

それで当時は多くのワーホリの人たちがやっていた、ストップオーバーがいっぱいの航空券を買って日本に帰国をするっていうのをすることにしてみたんだ。確か当時のオーストラリアドルで1500ドルくらいだったんじゃないかな。

シドニーから、オークランド、バリ、シンガポール、バンコク、香港、台北にストップオーバー出来て、最終的には名古屋へ、しかも1年オープン、日にち変更可能。途中、クアラルンプールも付けられたんだけど、なぜか私は、シンガポールからバンコクまでは陸路で行くんだっていうことに決めたようで、どうしてそういうことにしたのかちょっと覚えてないんだけど、とにかくそういうプランを作ったんだ。

多分単純に、陸路、歩いて国境を越える、という言葉の響きに何となく憧れたんじゃないかな。

 

航空券を買った時の私の心境は、あちこちの街を見て回りながら帰国をするんだよくらいのことだったんだと思う。ストップオーバーしてそれぞれの街で観光して、写真なんか撮ったりして、途中、シンガポールからバンコクまでは電車なんかで移動しちゃったりしてってね。

そんなワケで、ワーホリビザの切れる日と同時に、私は何事もよく分からずにシドニーを飛び出したのでありました。シドニーに行ったときと同じように、宿も決めず、プランも決めず。ちょっと違ったのは、オーストラリア英語の、特に寿司を売るには問題ないスキルが身についていたってこと。わさび付ける?とかね。

シドニーで二十歳、成人の日を迎えた私は、こんな具合にバックパッカーへの第一歩を踏み出すことになったのでした。

 

Japan Backpackers Link 2011年12月16日 12:18 PM
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